カカオには、産地がある。
ワインがボルドーとブルゴーニュとで違う味を持つように、コーヒーがエチオピアとコロンビアとで違う香りを持つように、カカオもまた、どこで育ったかによって、まったく異なる表情を持ちます。
でも、チョコレートを食べるとき、その産地を意識する機会は、多くの人にとってほとんどないかもしれません。精製と加工の工程を重ねるほど、素材の個性は均されていきます。一般的なチョコレートが「どこかの産地のカカオ」ではなく「チョコレート味」になっていくのは、ある意味でその結果です。
ローチョコレートは、その逆を向いています。加熱を最小限にとどめ、素材をできるだけそのまま活かすという姿勢は、カカオが育った土地の記憶を、より色濃く残すことになります。
当店がエクアドル産カカオを使い続けているのには、理由があります。この記事では、産地という視点からカカオを読み解きながら、その理由をお伝えしたいと思います。
カカオと産地——なぜ「どこで育ったか」が味に出るのか
カカオ(Theobroma cacao)は熱帯植物で、赤道を中心に南北緯20度前後の地域で育つと言われています。栽培地域は「カカオベルト」とも呼ばれ、中南米、西アフリカ、東南アジアなどに広がっています。
同じ「カカオ」でも、土壌、気温と湿度の変化、雨季と乾季のリズム、まわりに育つ植物——こうした環境の違いが重なって、風味の個性が生まれます。農園の周囲の植生や空気感まで含めて、カカオはその土地の“気配”をまとって育つ。私はそんなふうに感じています。
さらに、収穫後の「発酵」と「乾燥」のプロセスも、風味を大きく左右します。カカオ豆の中にある香りや味の前駆体は、発酵の過程で変化し、豆のポテンシャルが引き出されます。同じ産地でも、発酵管理の違いが風味に影響することがあります。
ローチョコレートの場合、その後の高温ロースト工程がないぶん、産地と発酵がもたらした風味が、より直接的に口の中に届きやすい——ここが面白いところです。
主な産地の特徴——産地によって、こんなに違う
産地ごとのカカオの個性を、大まかな傾向としてご紹介します。これらはあくまで「傾向」であり、同じ産地でも農園・品種・発酵や乾燥などの加工によって、風味は大きく変わります。参考程度にお読みください。
インドネシア(東南アジア)——穏やかな印象として語られることも
インドネシアは生産量が多く、ローカカオとして流通する豆も見かけます。
味わいとしては、他産地に比べて「穏やか」「クセが少ない」と表現されることもあり、フルーティさや花の香りが前に出ないと感じる方もいます。
ただし、これはあくまで一般論で、地域や発酵の仕方、品種によって印象は変わります。
ベトナム——“穏やか”だけでは語れない、繊細さと果実感
ベトナムのカカオは、近年クラフトチョコレートの文脈でも存在感が増しています。
たとえばメコンデルタ周辺の産地(ティエンジャン、ベンチェなど)について、「フルーティーさ」や「スパイスやはちみつを思わせる香り」などのテイスティングノートで語られることがあります。
また、国際的にもベトナムが“Fine Flavour Cocoa(ファインフレーバー・カカオ)”の生産国として評価される、というニュースも出ています。
もちろん、同じベトナムでも地域・農園・発酵で印象は大きく変わりますが、「東南アジアは全体に穏やか」という一言では片づけにくい、繊細さや果実感が出ることもある——そう捉えておくと、産地の地図が一段立体的になります。
ドミニカ共和国——やさしい酸味とバランスのよさで知られることも
ドミニカ共和国(カリブ海地域)のカカオは、クラフトチョコレートの文脈でもよく名前を見かける産地のひとつです。
テイスティングノートでは、やさしい酸味、ナッツのような香ばしさ、落ち着いた甘い香り(カラメルやスパイスのような印象)など、バランスのよさとして語られることがあります。
「派手さよりも、整った味わい」を求める方には合いやすい産地です。もちろん、農園や発酵・乾燥の違いで印象は変わりますが、“初めての産地チョコ”として選ばれやすい理由もそこにあると思います。
ペルー——フルーティさと複雑さが出ることも
ペルーは、スペシャルティカカオの産地として注目されることが多い国のひとつです。
風味の印象としては、フルーティな酸味や複雑さが語られることがあり、ベリー系、レーズン(乾いた果実)を思わせるノートが挙げられることもあります。近年はクラフト/Bean to Barの文脈でもペルー産を見かける機会が増え、産地の個性を前に出したチョコレートとして紹介されることもあります。
また、ペルーには「クリオロ」として紹介されるカカオもあり、ローカカオ(非加熱の原料)として流通している例も見られます。
ただし、同じペルーでも地域・品種(系統)・発酵や乾燥の違いで印象は大きく変わるため、「ペルーはこういう味」と一言で決めるより、産地名+作り手の説明(発酵・テイスティングノート)まで含めて眺めるのがいちばん確実です。
ベネズエラ(クリオロ“系”など)——繊細さで語られることが多い
クリオロ(Criollo)は、しばしば「繊細で上品」と表現されるカカオの系統で、生産量は世界全体の中では少ない(1〜5%程度と紹介されることもあります)と言われます。
その文脈でよく名前が挙がるのが、ベネズエラのチュアオ(Chuao)です。チュアオは“first class criollo cocoa”の産地として語られ、カカオの世界では伝説的な地名のひとつになっています。
ただし注意したいのは、「クリオロ=必ずこういう味」と決めつけられないことです。同じ地域でも品種(系統)や発酵・乾燥などの後処理で印象は変わります。
それでも、ベネズエラのファインフレーバー系のカカオが「苦味や渋みが強すぎない」「香りが繊細」といった言葉で語られやすいのは確かで、入手性も含めて“特別な存在”として扱われることが多いと思います。
マダガスカル——赤い果実系の酸味が語られやすい
マダガスカル(とくにサンビラノ地域)のカカオは、テイスティングノートで「赤い果実」「シトラス」「フローラル」といった言葉で語られることが多く、酸味が印象として立つタイプとして知られています。
個性がはっきりしているぶん、好みが分かれることもあります。酸味が好きな方には魅力になりやすい一方で、「チョコレートらしいロースト香の深み」を求める方には、印象が違って感じられるかもしれません。
そしてローチョコレートの文脈では、ここが少し面白いところです。ロースト工程が前提にならないぶん、産地と発酵が作った酸味や果実感が、そのまま前に出やすくなります。相性が良いときは驚くほど華やかに感じられますが、豆の状態(発酵・乾燥の仕上がり)によっては酸味が尖って感じられることもあります。
なお、マダガスカルでも“非ロースト(unroasted)”として流通している豆の例はありますが、入手性や品質の安定は供給元によって差が出やすい印象です。
※なお、西アフリカ(コートジボワール・ガーナなど)は世界最大のカカオ産地ですが、「ローカカオ」として流通する豆は相対的に少ないとされます。
エクアドルとアリバ種——カカオの起源の地が持つ個性
最近の研究では、カカオ(Theobroma cacao)の利用・栽培化の非常に古い痕跡が、南米の上部アマゾン流域——とくにエクアドル南東部の遺跡から見つかっていることが報告されています。約5,300年前にさかのぼる証拠が示され、カカオの「はじまりの場所」を考えるうえで、エクアドル(そして周辺の上部アマゾン)が特別な意味を持つ、という見方が強まっています。
もちろん、カカオの歴史は単純な一本線ではありません。人の移動と交易、育て方の工夫、土地ごとの交配や混ざり合いが重なって、いま私たちが出会う多様なカカオが形づくられてきました。
その長い物語の出発点に近い場所として、エクアドルはカカオの歴史の中で、やはり特別な位置を持っていると感じます。
エクアドル固有品種「アリバ(ナシオナル種)」
エクアドルのカカオを語るとき、よく登場する名前が「ナシオナル(Nacional)」、そして「アリバ(Arriba)」です。ナシオナルは、エクアドルの“フローラルで華やかな香り”を象徴する存在として語られることが多く、アリバはその香味イメージや歴史的呼称として使われることがあります。
ここで大切なのは、カカオの世界では「品種名」「系統」「産地名」「香味の呼び名」が混ざって使われることがあり、話が複雑になりやすい、という点です。
たとえばナシオナルは、古い分類ではフォラステロ(Forastero)系と語られることもありますが、同時に“ファインフレーバー(fine flavour / fine aroma)”の文脈でエクアドルを代表する存在として扱われてきました。
さらに、国際的には「ファインフレーバー」は“品種だけで一律に決まるラベル”というより、産地・後処理・香味評価などの総合で語られる側面が強く、国別の評価や比率が示されることもあります。
だから私は、ナシオナル/アリバを「唯一の何か」として神格化するよりも、エクアドルで育ったカカオが持つ香りの系譜として捉えるのが、いちばん誠実だと思っています。
アリバ(ナシオナル系)の風味の個性
アリバ(ナシオナル系)の魅力として、よく語られるのがフローラルな香りです。
テイスティングノートでは、ジャスミンのような白い花を思わせる——そんな表現が使われることがあり、後味にはナッツのような余韻が続く、と感じる方もいます。
さらに、熟したバナナ、シナモン、ナッツ——農園の周囲に育つ植物の“気配”が、豆の香りの中に溶け込んでいるように感じられることもあります。酸味や苦味が強すぎず、全体のバランスがよく、華やかな香りが長く続く——そう表現されることが多いのも、この系統の面白さです。
このフローラルさは、ローストを経ても残ることがありますが、ローチョコレートのように高温を前提にしない作り方では、産地と発酵が作った香りがより“そのまま”前に出やすい、と感じています。
そして近年の研究では、上部アマゾン流域(エクアドルを含む地域)で非常に古いカカオ利用・栽培化の痕跡が報告されています。
そうした“はじまりに近い土地”で育ってきたナシオナル/アリバの系譜が、今日まで「ファインフレーバー(fine flavour / fine aroma)」の文脈で語られ続けている——そこに、エクアドルの特別さがあるように思います。
当店がエクアドル産を選び続ける理由
産地を選ぶということは、ショコラティエにとって、チョコレートの「出発点」を選ぶことです。何を素材にするかが、できあがるものの性格を決めます。
当店がエクアドル産カカオを選んでいる理由は、いくつか重なっています。
出会いは、京都の一軒のお店から
私がエクアドル産カカオを選んだ最初のきっかけは、ローチョコレートの作り方を学んだ京都のお店でした。そこで使われていたのがエクアドル産カカオで、その味に惹かれたことが、今につながっています。
フローラルで華やか。繊細でありながら、しっかりとしたカカオの存在感がある——初めて口にしたときの印象は、今も変わっていません。
「お店の標準」として選ぶなら、エクアドルが合っていた
クリオロ系のように、より希少で繊細なカカオも素晴らしいと思っています。
ただ、当店のような専門店が日々作り続けるローチョコレートの「標準」として産地を考えたとき、エクアドルのアリバ(ナシオナル系)が持つバランスのよさと“王道の安定感”は、その役割に合っていると判断しました。
当店のローチョコレートはミルクタイプが中心で、カシューナッツやオーツミルクパウダーといった植物性素材で「ミルキーなコク」を作っています。
アリバ(ナシオナル系)のフローラルで穏やかな香りは、このやさしい設計と自然に溶け合い、全体の余韻を整えてくれる——そんな感覚があります。
今後の産地について——オープンな視点で
当面はエクアドル産カカオを使い続けます。お客様からのお声もよく、「当店の味」として少しずつ定着してきたと感じているためです。
一方で、カカオの産地や流通は、今後も変化していく可能性があります。世界情勢や気候、物流の変化の中で、使う産地が変わることも、長い目で見ればあり得ます。また、新しい商品を開発する際に、別の産地の個性を活かすことも考えられます。
ショコラティエとしては、ひとつの産地に固執するより、カカオそのものの豊かさと向き合い続けることのほうが大切だと思っています。産地が変わっても、「ローチョコレートらしい作り方で、カカオの魅力をそのまま届ける」という姿勢は変わりません。
ショコラティエからのひとこと
産地を選ぶとき、私が最初に確かめるのは風味のバランスです。
アリバ(ナシオナル系)の香りは、力強さよりも「華やかさ」「やさしさ」の方向を向いています。
ローチョコレートという、素材の声をそのまま活かす作り方には、この方向性がとても合っている——そう感じています。
産地の個性が、そのままチョコレートの個性になる。
それがローチョコレートの、ひとつの醍醐味だと思っています。
「成分」よりも「総体としてのカカオ」という考え方は、公式HPでももう少し長く書いています。
人生が変わるチョコレート|映画『ショコラ』をめざして
産地を意識すると、一粒がもっと豊かになる
産地の話を知ったうえで食べてみると、チョコレートとの向き合い方が少し変わります。
口にしたとき、最初に感じるのはどんな香りか。その香りはどこから来ているのか。
たとえばフローラルと感じるなら、それは土地の気候や土壌、発酵と乾燥の積み重ねが、長い時間をかけてカカオに刻んだもの——そう想像することもできます。
一粒のチョコレートの中に、産地の景色がある。そう思って口にすると、「おいしい」という感覚の奥に、もう少し違う何かが加わることがあります。
それは“知識”というより、カカオという植物の気配——生命力と呼びたくなるものを、少し感じることなのかもしれません。
ローチョコレートはどう生まれた?|ローフードから始まった”新しいチョコ”の物語
ローチョコレートの種類と選び方|ダーク・ミルク・ホワイトの違い
最後に
カカオは、どこで育ったかを“覚えている”——私はときどき、そんなふうに感じます。
土の質、雨の量、周りに咲く花の香り。そうした環境を受け取りながら育ったカカオ豆は、口の中でその記憶を少しずつ解き放つような瞬間があります。高温ローストを前提にしない作り方では、その気配が前に出てくることもあります。
エクアドルという土地と、アリバ(ナシオナル系)に語られるフローラルな個性。そこに惹かれてきたことが、当店のローチョコレートの「声」の一部になっています。
次に一粒口にするとき、その香りがどこから来たのかを、少しだけ思ってみてください。